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【体験談】突然の椎間板ヘルニア発症。手術に至るまでのリアルストーリー

突然ですが、私は椎間板ヘルニアになり、手術を受けることになりました。
これまでにも軽いぎっくり腰や慢性的な腰痛はあったのですが、今回のような強烈な痛みは人生で初めての経験。この記事では、発症から手術に至るまでのリアルな体験を綴ります。


きっかけは「違和感」から始まった

 

発症のきっかけは、ある日突然やってきました。
フライトアテンダントとして勤務していた時期、ふと左脚の裏側にピリッとした張りのような違和感を感じたのです。当時はコロナ禍。ストレスもあって、「気のせいかな」と思い、深く気にせずそのまま過ごしていました。

しかし、その数日後。運命のジャカルタ便で“事件”が起きたのです。

 

ヘルニア発症の瞬間:岩のような手荷物が引き金に

 

機内でお客様が頭上の荷物棚に荷物を入れられず、代わりに持ち上げた瞬間。
腰にズンと重く、嫌な感覚が走りました。まるで一瞬、時間が止まったようで…。

「これ、ヤバいやつかも」

でもその場では何事もなかったかのように、笑顔で仕事を続けてしまいました。今振り返ると、無理をせず、あの時点で病院へ行くべきだったのかもしれません。

 

激化する痛みとフライト勤務の限界

 

それからというもの、痛みはどんどん増していきました。
シンガポールのGP(一般医)にかかり、セレコックスという痛み止めを処方されました。ところが胃薬の処方はなく、成分量が強めだったことも後から日本の医師に指摘されます。

薬を飲みながらの勤務が続きましたが、座ることが困難になり、フライト中も常に立っている状態。離着陸時だけ無理やり座る苦痛…。
さらにバス通勤時にキャリーバッグを持ち上げる動作も、腰に大きな負担をかけました。

 

荷造り地獄で症状が悪化

 

そんな中、私は退職を決意。アメリカの大学でUXデザインを学ぶための準備が始まりました。
9年間暮らしたシンガポールからの引っ越し。荷物の仕分け、寄付、販売、そして船便の手配…。想像以上のハードワークでした。

そして引っ越し直前、坐骨神経痛がピークに。痛み止めなしでは眠れない状態にまで悪化してしまいました。

 

本帰国、そしてコロナ隔離生活へ

 

帰国直後、日本の空港でPCR検査のため長距離を歩かされ、さらに悪化…。
しかも当時はコロナ禍の真っ最中で、14日間の自宅隔離を余儀なくされ、すぐに整形外科へ行けませんでした。

この間は、ほぼ寝たきり。まるでアザラシのような生活で、海外からのオンライン診療を受けるも処方薬は効果が薄く、痛みとの戦いの日々が続きました。

 

ようやく診断確定!椎間板ヘルニアでした

 

隔離明け、すぐに整形外科へ。MRIとレントゲン検査の結果、腰椎椎間板ヘルニアと診断されました。

最初は「保存療法」で、ブロック注射や内服薬を試しましたが効果は一時的。タリージェという強い薬も処方されましたが、「これ以上は出せない」と言われ、いよいよ限界を感じ始めます。

 

手術という決断、そして未来へ

 

大学側には事情を説明し、入学時期を1月から3月に変更してもらいました。
オンライン受講だったため柔軟に対応してくれ、本当に感謝しかありません。

そして私の中で、ひとつの決断が下されました。

「もう、手術するしかない。」

保存療法でもよくなる可能性はあると言われましたが、症状が治まるまでに1年かかるとのこと。
その間、薬を飲み続けながら新しい生活に挑むなんて、現実的ではありませんでした。

 

手術に向けて前向きに

 

もちろん手術にはリスクもあります。
でも、これから始まるアメリカでの新生活に不安を残したくない。UXデザインを学び直すという人生の再スタートに向け、心も体も整えたい。

痛みのない生活を取り戻すために。
私はこの選択に悔いはありません。

 

最後に

 

人生には、予想もしない出来事が突然降りかかってきます。
でも、そこで諦めるか、乗り越えるかは自分次第。
私も最初は落ち込みましたが、今は「この経験も人生の一部」と思えるようになりました。

同じような症状で悩んでいる方へ。
一人で抱え込まず、専門医の診断を受けてみてください。必要であれば、手術という選択も恐れないでほしい。

次回は、実際の手術・入院体験をお届けします!

 

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